教育情報2021.11.16
「わたしを本当に傷つけたいと思うなら、わたしのことばを罵ればいい。
民族的アイデンティティは、言語的アイデンティティと表裏一体なのだから。
ことばは、わたし自身。
自分のことばに誇りを持つことができないかぎり、自分自身に誇りを持つことなんて、できない。」
(Anzaldua, 1990, P.39)
■■■
チカーノ文化やフェミニズムの研究者でもあり、
詩人としても活躍していた、Gloria Anzalduaのことばです。
(”How to Tame a Wild Language” 1990。インターネット上でも読むことができます。)
■■■
最近、オランダ人の旦那さんをもつ知人が、
「家庭内で子どもたちと日本語を話すな」と言われたそうです。
オランダ に限らず、このようなことは他の国でも行われているかもしれません。
話を聞いただけの私も、胸をえぐられるような思いがしました。
Anzalduaの文章にもあるように、ことばは、その人自身です。
その人が、その人らしくあるために必要不可欠です。
特に海外在住のマイノリティにとって、ことばを否定することが、どんなに暴力的で、相手を傷つける行為なのか、多数派側の人間には、きっちり理解してほしいと思います。
「人権としての言語権(Linguistic Human Right)」
という言葉もあります。
国際人権B規約(1966年)においても、マイノリティが自己の言語を使用する権利は認められています。
外国に移住したら、現地の言語しか話してはいけないのでしょうか。
母語を捨て、自分自身を捨てなければならないのでしょうか。
そんなことは、決してありません。
もちろん、現地の言語を学ぶ努力はしたほうがいいと思いますが、
母語を使う権利は、人間としての権利です。
(詳しくは、Skutnabb-Kangasの著書や論文をご参考ください。)
海外で生活する、日本語母語話者の皆様、どうぞ胸をはって、日本語を使ってください。